投稿者:M.MK

ペルピニャンは世界の中心???(1)

 

 ペルピニャンは今のフランスで言えば、ラングドック-ルシヨン地方にあたるが、その昔はフランク王国から独立したカタルーニャという国だった。

その雰囲気がいまだに色濃く残るのか、フランスにいる、というより、ここがカタルーニャか、という感じがした。街のいたる所にバルセロナはあっち、という標識があり、建物の雰囲気なども、ここはフランス?という感じがする。

 そんなペルピニャンを、「世界の中心」といったのは、あの髭の七変化男にして画家、そして盟友ホルヘ・ルイス・ブニュエルが監督した映画『アンダルシアの犬』の撮影にも一肌脱いだ、あのサルバドール・ダリ氏である。

愛を叫んだのかどうかは知らないが、「世界の中心」だ、という場所がどんなものなのか。探りに行ってみた。

冬だったとこともあり、とにかくさぶいのである。パリよりずっと南なので、パリより寒いなんてことは・・・、と油断しとった!!!空港からはピレネーが壁のように聳える。上半分は冬の富士山みたいに真っ白である。寒いわけだよ。。。(写真を撮りたいが、とてもではないがカメラも出す気になれない強風と寒さ。。。)地方の空港なので、タラップを下りて、飛行機のタイヤを横目に出口に向かったのでした。(つづく)

投稿者:ミッドナイト・エクスプレス

さよならは言わない

「ちょっと変な日本人がいるの。 ねえ、それとなく様子をみててくれない? だめかしら。 お願い、お願いするわ。」

 

「えっ?」

 

 

続きはこちらをクリック

投稿者:M.MK

ダンディー、亀を引く(後篇)

ダンディーの中のダンディーであるド・モンテスキュー伯爵、以前、たまたまオルセー美術館で伯爵の展覧会をやっているときに、彼の肖像画を見たこともあるが、渋~いダンディーなのである。当然プルーストも大心酔。熱い(あぁ!!)というか折り目正しい往復書簡も残っている。ダンディーの服装は『悪の華』の詩人も言うように、基本、黒やグレーなどの喪服のような色の服。そんな服で身を固め、貴族の特権がなくなった時代の中で、過ぎ去りし王権、貴族の世の喪に服している。要するに、斜陽族なのである。急に革命のため法律が変わって、貴族の特権がなくなりましたよ、と言われても、はいそうですか、どこかで月給取りにでもなるさ、とシューカツして就職、質素に暮らしますというわけにもいかない。なんといっても浪費のスペシャリストであり、日々の生活に発展やら成長に意味を見出さず、無為に過ごすことに勤しんだ人々である。そんなわけで、大体のダンディーたちは破産状態で亡くなっている。

そんなダンディーたちが、亀を引き、当時最新流行スポット、パッサージュに繰り出した。。。余裕綽々と言うか、反抗的な姿勢と言うのか、自分たちの時間の尺度を、亀は万年とでも表現したのか・・・。

馬車も車も入れないパッサージュなら、愛しの亀ちゃんが馬車や自動車に踏み潰される(イテテッ!)心配もないしね。

いずれにせよ、ダンディー諸君、ダンディーたるもの、そこまでやってみなければなるまい!!一世を風靡したパリの人気スポット、パッサージュも、取り壊され、あるいはいくつかは取り壊されようとしてる、という。つまり、ひょっとしたら近い将来、ダンディーを気取るために最もふさわしいスポットがなくなるかもしれないということだ。

そこで、ダンディー諸君に告ぐ。急いで、パッサージュに馳せ参じてもらいたい。

(亀との散歩にともなうあらゆる問題は、くれぐれもダンディー諸君の自己責任でお願いする。)

投稿者:M.MK

ダンディー、亀を引く(前編)

19世紀の後半、パリで亀を引いて散歩するのが流行った、と聞けば、ホントかよ、と思わずにいられない(ですよね)

というのも、その頃のフランスはスピードの都でもあった。他国に先駆け、中央集権を推し進め、ヨーロッパ各地に軍隊を迅速に送り、制覇することができたのは、この道路網の役割が大きい。後に自動車レースが盛んになると、パリをスタートしてボルドーなど辺までのレースが行われるようになる。というのも、まだ他国には、自動車レースができるような、長く続く、整備された道がなかったということである。整備されているとはいえ、当時のこと。路面はすべて舗装されているはずもなく、ボコボコ、ガタガタ。自動車レースはパンクとの戦いでもあり、たくさんのタイヤ(ミシュラン!!)を積み込んで、レースを走った。後にF1グランプリに引き継がれるようなグランプリ・レースは第一次大戦後まで、フランスのみでの開催だったようだ。 

 

そんなスピードの都で、亀と散歩?それもダンディーの中のダンディー、あの稀代の色男として名を馳せたロベール・ド・モンテスキュー伯爵(かっこいいー!!)も、そんな風に散歩した(!!!)というではないですか。この伯爵、当然その時代のファション・リーダーで、服はもちろん、手袋、カフスボタンなども当然、立ち居振る舞いに至るまで、みんながまねした。(伯爵は本物の宝石のついたカフスボタンであったが、高価なのでガラスの模造品の方が流行ったらしい。)何を隠そう、このお方、小説『失われた時を求めて』に登場する、あのシャルリュス男爵のモデルなのである。(続く)

投稿者:M.MK

アンリ・ルソーと植物園

 「ル・ドゥアニエ/税関吏」というニック・ネームの画家のアンリ・ルソー氏は、パリの税関職員として働き、休みの日にはせっせと絵を描くという日曜画家だったそうな。カラフルに、細かく植物や動物を描き、どこかかわいらしい作風。ところが、この植物のあるところに、こんな動物、いる?、虎が牛を食べる?砂漠にライオン!?という???で頭が一杯になることも少なくない。というのもルソー氏、本当に虎などがいるジャングルに行ったのではなく、パリにある植物園、動物園などで描き、画家の感性で、それらが絵になるように組み合わせていたのである。

 パリの自然史博物館Museum national d’histoire naturelle(rue Cuiver13)にある植物園ジャルダン・ド・プラントの温室は、鉄とガラスで作られた温室としては初期のもの(1834)であり、この時代辺りに作られ出したパッサージュ(英語だとアーケード)と同様、鉄とガラスで作られる近代建築の元祖的なものである。この温室が巨大になると1851年のロンドン万博での水晶宮、1900年のパリ万博のグラン・パレ、プティ・パレとなり、モネが描いたことでも有名なパリのサン・ラザール駅のように駅舎にもなり、パリのギャラリー・ラファイエットのようにデパートにもなる。このような実に建築史的に掛け値なしに革命的な建物の中で、入り乱れる熱帯の植物を眺めては、せっせと描き、その背景の植物には似つかわしくない動物も描き込んでいたのですねぇ。

冬の植物園の庭園は、春への準備のため、掘り返されていますが、温室に行けば、緑は溢れ、暖かい!!冬も楽しめる。19世紀末ごろからは、余裕のある方々は家に温室を作って、そこをサロンにするのが流行ったというのも頷ける。

冬の寒さで凍てついた身も心も、植物園の温室は温めてくれるはず!!(植物園はオートゥイユにもあります。お好きな方は是非、どうぞ。ぬぬっ、ルソーの絵はオルセー美術館展でしばらく日本に滞在するようですね。http://orsay.exhn.jp/ でも、ルソーも行った温室はパリに行かないと体験できませんよぉ。)

 

1 2 3 4 5 6 7 8